鳥瞰図を描きましょう♪・美し都 神戸から

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zoom RSS 2001年 夏

<<   作成日時 : 2006/09/11 12:38   >>

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2001年4月に、失業しました。 そこから5ヶ月間の失業期間を過ごすのですが、その時の出来事です。


ちょうど7月28日に、車つながりの大阪狭山市の人に、誘われて 東京・練馬と鎌倉を回って帰ってくるという 日帰りの2トン積車の旅に出ました。 鎌倉で和田塚辺りにお住まいのおばさんに会い、その時に鎌倉駅前(西側)のとんかつ屋さんに連れて行ってもらいました。 由比ヶ浜にも下りましたよ。 2時間程度の滞在でしたでしょうか。 また鎌倉から大阪に戻って、それから神戸に帰ってきた訳です。


鎌倉には、それまでも何度かドライブで通過していたのですが、街中でまともに滞在したのは、この時が初めてみたいなものです。
帰ってきてから しばらくして 大阪狭山市の友達(だいぶ年上の方)に、先日の鎌倉行きの事もあり、僕が持っていた石原正さんの鳥瞰図 鎌倉絵図を見せたのです。 和田塚のお宅や、由比ヶ浜、鎌倉駅前の様子。 「ここに行って、この道を通って駅前に行きましたよね〜」 と、絵図を見て説明したんです。 あの絵図を見て感銘を受けない人はいないぐらい みなさん深い感動があるのではないでしょうか。
その狭山の友達も、感動されていました。 おばちゃんに見せてあげたら喜ぶで!と。

そうやって、絵図を前にして話をする訳ですから、僕が高校時代に石原正さんという絵描きの人が居て、大好きで憧れていた という話をするのが普通な流れですよね。



その狭山の友達が、僕の背中を押してくれたんです。  俄然その気になりました。

2001年8月24日  その日は、面接を受ける為に、昼前に大阪の夕陽丘の方に来ていました。 僕が描いた三宮の鳥瞰図を持って。  面接が終わって、その会社を出た後に、南森町にあった「アトリエバーズアイ」さんに恐る恐る電話してみました。 昼一ぐらいの電話だと思います。
電話に出られた石原さんに 実は見て欲しい絵があって、これから そちらに向かってもいいでしょうか?!と。 ドキドキでした。  石原さんは、四ツ橋筋のINAXビルで開催中の鳥瞰図絵師の展示会の最終日、 これから四ツ橋筋に行くので そちらでなら会える と仰って下さったのでした。

谷町線の四天王寺夕陽丘駅から地下鉄に乗って、途中乗り換えて INAXのビルに行ったのです。 ビルの2階だったでしょうか ギャラリー。



嬉々とした目で、展示を眺めている内に 石原さんが会場に来られたのです。 すぐさま眼が合いました。 向こうも電話の主が僕だった事を、すぐさま理解してくれたと僕は直感的に思いました。

ひとしきりの挨拶のあとに、早速 自分の描いた三宮の絵を見てもらったのです。


石原さんは じーっと見てくれました。 僕はもうドキドキです。 するとガラ声でいろいろと質問されるんですね。 縮尺は? 何の地図を使ったのか? なぜ描いたのか? なぜ? なぜ? なぜ? と 質問されるのですね。
僕が描いたのには、立派な動機なんて無かったんです。 友人が結婚する際に、そのツレにプレゼントしようと思い、描き始めた絵でした。 結局 そのツレに渡る事無く、僕の手元に今でもあるんですが(笑)

そんな動機でしたし、縮尺についても、引用した地図についても「適当です」としか言いようがなかったんです。 でも、そんな「適当です。 適当なんです。」としか答えられなかったからこそ、余計に石原さんに突っ込まれました。 「描く動機があるだろ? 動機も無いのに描けるわけがないじゃないか!」
ちゃんとした答えを言えない事が悔しいというか、僕は内心「動機が無いと、理由が無いと描いたらアカンの?」 「神戸が三宮が好きだから 描きたいだけやん!」 と、そんな子供じみた 理由・動機を思っても 面と向かって言えなかったのです。


批評は続きました。 絵に遊び心が無い! 生きている感じがしない! ビルの屋上の設備類をなぜ省略するんだ! ビルは屋上の高置タンクや空調のクーリングタワーなど等を描いてこそ、生きるんじゃないか! ビルはあの部分で息をしてるんだよ! これなら死んでいるじゃないか! とまで言われたんですね(汗)
まだ続きましたよ  オフィスビルでも、マンションでも百貨店でも、ビルは用途に応じて階高が違う! なぜ それをみんな同じで描くんだ! おかしいじゃないか! 50階建てのホテルと50階建てのオフィスビルは高さが違うんだよ!

そこでも僕は内心 「そんな事分かっとるわ! 階高が違うことなんかわかっとるわ!」と、 けど、実際 それを使い分けていなかった以上、言い返せなかったんですね。 それと同時に、 縮尺? 高さ? ビルの屋上? そんなん見えんのに、どうやって描けって言うねん! とも。  ビルの屋上の設備類については、流石に僕もほそぼそと 無理です というような返答をしていたと思います。  10言われた内、9つぐらいは怒られていました。 別に嫌じゃなかったですよ。 10の内、10怒られるのも、10の内、12ぐらい怒られるのも嫌じゃなかったです。


石原さん 褒めてくれた事もありました。 動機不純だけど、趣味でここまで描けたならエライな と。

石原さん 「君はこれを描くのにどんな資料を集めたんだ?」
DAI    「震災後に発売された航空写真や、街の写真を元にです。 足りない部分は現地で       写真を撮ったりしました。」
石原さん 「何枚くらいだ?」
DAI    「数えたことないですが、100枚程度じゃないでしょうか。」
石原さん 「たった100枚?! なんでもっと自分で集めてこんのだ! 私が作品を一つ仕上げ       るのに、航空写真だけで7万枚 地上からの写真で数千枚・・・・ 資料は買うん
       じゃなくて、自分で集めてくるんだよ! なんでそこまでしないんだ!」
DAI    「・・・・はぁ・・・・そのぉ・・・・え〜 そこまで出来ないですよ」
石原さん 「何で出来ないんだ!」


タジタジでした。 ボロボロでしたね(笑)  2時間ぐらい話を聞きました。 とにかく情熱的でした。 怒られてばっかでしたけど、嬉しかったんです。 自分の目の前にあの石原さんが居るんだから。


他にも僕みたいに自分の作品を持って来て 見てくれ! という人って居るんですか? と質問すると、3年に一人ぐらいやな。 こんな事は仕事として勤まらん!と。 続けられても君みたいな奴だけやなって 話されていました。


今から5年前の8月24日の僕は、明確に石原さんに弟子入りしたい! という確固たる気持ちがあった訳ではなかったのです。 自分の作品を見てもらいたい お近づきになりたい という漠然とした気持ちが大半だったんです。



それから12日後の9月5日、 石原さんから葉書が届きました。  あの日 住所を伝えた訳でもなく、名前しか言ってなかったので、驚きました。 ギャラリーで記帳ノートに記した名前と住所 それを元に葉書を出してくれたようなのです。


その葉書 今も大切にしているのですが、 ちょっと手伝って欲しい事があるから電話が欲しい という事が書かれていたんです。 僕は震えました。 喜び爆発 という感じでしょうか。 マジで? マジで? マジで?

すぐに電話したと思います。 「鳥瞰図を描くのを手伝ってみないか?」とお誘いの言葉を頂きまして、5日後の9月10日にアトリエ・バーズアイ訪問の約束をしました。



9月10日 午前中は就職活動で、2件ほど回った後に行きました。 近くまで行って電話をしたんです。 非常に分かりにくい場所にある事務所だったと思います。 チャイムを鳴らして、狭い室内に通してもらいました。

そこでは、谷町6丁目辺りから天王寺駅辺りまでのデカイ航空写真と、大阪市発行の2500分の1の白地図、特殊なトレーシングペーパーをお借りしました。 石原さんからは、その航空写真にトレペを置いて、地上の地形を写し取る作業を 自宅でやってこい と。
勝手が分かりませんから、どこまで書き込んだらOKなのかを聞いて、一例を見せてもらいました。 すごくアバウトな課題なんですが、すごく難しい事でした。

石原さんは、その日 大阪絵図の改訂版の作業をチラッと見せてもらいました。 ちょうどNHKの建物を描いている所でした。 俺がこれを描く為に、分からないことは、自分で調べてやりあげているんだ と。 外壁のタイル貼の割付等だったのです。


事務所でだいぶ話をしたんじゃないでしょうか。 震災後数日の内に、神戸の空撮をしたとも仰っていましたし、とにかくいろいろ話をしたと思います。 そんな話の大半を覚えていないので、恥ずかしい話なのですが。


時間も夕方だったでしょうか。 近所の店に食事に連れて行ってもらったんですね。 お店の人に僕を紹介されるんですよ・・・  フルネームを連呼するというか、 ご自身が僕の名前を刻み付けているかのように・・・  恥ずかしくもありましたし、光栄だったし。
その日 9月10日は、こうして終わったのでした。


翌2001年9月11日、今 勤めている会社の面接でした。 帰宅して、早速課題をやり始めていた時、22時からのニュースステーションを見始めると、目の前で あのワールドトレードセンターが炎上していたんです。 ニュースに釘付けになっていると、もう1機 ビルに突入する映像をライブで見て、 テロだと分かりました。 恐ろしい映像を見続けてしまいました。 目の前で崩れていったワールドトレードセンター。 ショックでした。


ちょうど昨日会った石原さんは、ニューヨーク絵図が、現地でどれだけ売れるか?によって、ロウアーマンハッタンの絵図に着手出来るかどうかと話されていたので、心配になり石原さんに電話した事を覚えています。


9月18日 に就職が決定しました。

石原さんの事務所を訪れて約2週間 正確な日にちは記録していないのですが、恐らく9月23日頃だったのではないか?と想像しています。 その日 出来た所までの課題を持って、アトリエ・バーズアイを再訪しました。


与えられた課題 自分では妥当な一線まで出来たのではないか?という気持ち半分、全然出来なかったという気持ち半分で、石原さんに見てもらった訳ですが、不安は的中して またいろいろとダメだしでした。 やっぱり難しい課題でした。

明後日の9月25日が新しい会社の出社日だという事も話ました。 その日、僕は石原さんから与えられた試験に落ちたみたいなもんです。 みたいなもんじゃなくて、落ちました。


落胆もありましたが、確固たる気持ちで弟子入りするんだ! という心構えがなかったというのも、課題の成果に現れていたと思います。 石原さんは僕を試してくれたのに、僕はそれに答えられませんでした。 自分から答えなかったんですよね。


事務所に居る最後の方に、恐る恐る 聞きました。 「もし 2〜3年が過ぎて、次の仕事に見切りをつけるような事があった時、もう一度 試験を受けさせてもらえますか?」と。  石原さんは 快諾してくれました。


その日、石原さんと最後になりましたが、東梅田の方に歩いて行って 石原さんの行きつけのお店に二人で行きました。 また そのお店でも、僕の事を紹介してくれるんですね。 顔馴染みのお客さんにも紹介されるんです。






僕が鳥瞰図絵師 石原正に会って 話をしたのは、 5年前の2001年9月23日?頃が最後になりました。



昨年の9月頃、 久々にインターネットで石原さんを検索していた時に、一つのページに出会いました。 函館市役所のページです。  そこには函館出身だった石原さんが紹介されていたのです。 へぇ〜 やっぱ すごいなぁ〜 と思いながら文章を最後まで読んでいて驚愕しました。

石原さん 昨年の3月8日亡くなっていたんです。 知った時には、すでに半年も過ぎていた事が情けなくて、情けなくて・・・



昨年 愛知万博がありましたが、石原さんは その万博のマップを製作中に体調を崩されて、亡くなったと知りました。 石原さんらしいというか、やっぱり あの人 万博のマップを着手されていたんですねぇ。。。 万博の案内地図には鳥瞰絵図だ! と言われていたから、石原さんらしいなぁと思ったんです。  無念だったろうなぁ〜 それが浮かびました。



もっかい チャンスくれるって言ったやん なんでもう死んでしまってるねんっ! まだ若いのに まだ死ぬ歳ちゃうやん と。




函館出身の石原さん 函館絵図を描けないまま 逝ってしまいました。 あの人のスタイル? あの人のタッチ? あの人のクオリティ? と僕は違いますし、僕は僕のスタイルが熟成されるだろうと思いますが、いつの日か、僕のクオリティで 函館絵図を描くよ! とド素人ながら 大それた事を思ったのでした。


亡くなったという事を知ってから、あの人の作品を探しました。 それ以前に大半は集めていたのですが、まだいくつか持っていない物、保存用に複数部欲しいという気持ちから 手に入らなくなる前に、確保しておきたかったからです。 岡山県の自治体にメールしたり、東京の本屋さんから取り寄せたり、全国的に探せるだけ探しました。  恐らく あの人の鳥瞰絵図のほぼすべてを確保出来たと思っています。


そんな行動の時に、一つの絵図に出会いました。 「夕陽丘絵図」 石原さん2002年の作品。

天王寺の一心寺さんが発行されているものです。 これって、僕が2001年夏に石原さんから試された時の絵図だったんです。  僕がダメだった地区を、石原さんはしっかりと完成させていたんですよね。 あの時借りた航空写真、地図、あの事を思い出しつつ、石原さんの絵図を見ると、思い出されるんですね。 こんな建物あったなぁ〜! おぉ〜 このお寺!  この坂道!  うわぁ〜 あの時のままやん!! すっげぇ〜!!  と。


僕が、石原正という人に会った回数は、南千里の公園で1回、 三宮の本屋さんで1回、INAXの展示会で1回、 アトリエバーズアイで2回 の計5回  時間にすると15〜20時間程度という短い時間だった思います。

そりゃあ 50時間でも200時間でも、いっしょに過ごしたかったと思いますが、 僕にとってのあの計5回 20時間というのは、とても大切な時間です。


僕が鳥瞰絵図の神様に接した夏でした。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
興味深いお話ですね。石原さんとつながりがあったのですね。何か相関があるなと思っていたもので(すみません。昔の記事はみてないもので)彼の絵は細かいところに手がこんでいて、尋常の精神ではできないと思っていましたが、その一端を見たような気がします。

私は神戸と京都を持っています。京都は4枚組みのつもりが、2枚しか持ってない。ちょうど京都に下宿していたころで、年がばれてしまいますが。

個人的には、DAIさんの絵は、多少シンプルな分逆にある種の非現実感というか、震災前とか昔とか、ある時間を切り取るのにはいいと思っています。石原さんが言うビルが息をしてる所までは書いてないにしても、我々見る側の記憶のあいまいさに響く意味では、私はそれはそれでいい感じがします。

ホテルの絵ではコメントしましたが、別にホテルの屋上の空調がどうのとかいうことは興味がなくて、そこに思い出がある個人として、記憶にかかわる部分との違いを述べただけで、詳細まで正確書けばいいというものでもない気がします。何かうまくいえませんが、記憶に訴える絵と緻密であることとは必ずしも一致しないと思う。
元しみん
2006/09/11 17:14
元しみんさん>
京都絵図ですが、その4まであったのでしょうか???
僕が持っているのは その1〜その3までの3種類です。

僕の場合、細かく描き込めば描き込む程、比例して感嘆
の度合いが高まるという性格だと思います。 なので石
原さんの地図は、どれもこれも その性格を十分に喜ば
せてくれる作品の数々でした。
自分がそこまでこだわれないからこそ、憧れるのだと思
います。 仮に京町のオリエンタルの各階平面図でも手
に入った日にゃあ、以前 阪急会館を輪切りにして描い
たように、オリエンタルも切り取って描いてみたいと思
います。 こういうのを描きたがる性分は、恐らく石原
さんには無かった僕オリジナルの性分ですから、ここは
僕の強みになるだろうと思って居たりします。
そういう点で言うと、三宮を描いた自作、地面をめくっ
て、地下を見えるようにした所は、僕の性格がよく現れ
ている点になります。
DAI
2006/09/11 18:54
京都その4は刊行されたのかすら知りません。その1&2はほぼ同時に出ましたが、その3はずいぶん後で、そのときには私は京都におらずに3は購入しなかったので、、、

ただ、その1の段階では、4枚組で京都の市街地を埋め、かつ春夏秋冬にする予定だと石原さんが書いておられましたが、、
元しみん
2006/09/11 19:28
 最近めっきり三ノ宮での仕事に慣れましたはしもとです。
お久しぶりです。
>> 南千里の公園で1回
千里NT絵図を描きはった石原正さんは、あの公園にも来られたんですね!!
いつも通勤に中を通って来るのですが明日からは、そのコトにも思いを馳せて
通るとしますね!!

以前、私が云うておりました欲しい鳥瞰図とは千里NT絵図のことでした。
はしもと
2006/09/11 21:06
元しみんさん>
あ〜 では京都絵図は その3までしか発売されていないと思います。
たしかに その3はかなり遅れましたね。 その3では、京都駅ビル
工事直前だったんです。 その4が出たならば、京都駅ビルも描かれ
たんでした。
DAI
2006/09/11 22:45
はしもとさん>
お久しぶりです。 石原さんは竹見台にお住まいだったので、地元の
バザーに参加されたのが、南千里の駅北側の公園だったんです。
公園の北西?ですかね 大きな広場がありまして、そちらでされて
いましたよ。 千里絵図 それを欲していらっしゃったのですね。
もし どうしてもと仰るのでしたら、差し上げる事は絶対に出来な
いのですが、お見せする事でしたら可能ですよ。
DAI
2006/09/11 22:49
 そんな事があったのですね。
 ビックリです。
 いつもながらDAIさんの行動力には、感心させられます。
kamimura
2006/09/12 19:10
kamimuraさん>
この内容、以前にも 約1年前にも概要を書きましたが
この一線 どうしても書けなかった事がありました。
自分の中でずーっと恥だと思っていたからです。 今も
基本的にはその気持ちは変わっていませんが、ずっと隠
し続けて行くのも、世間を騙しているような罪悪感があ
りましたので、一つのきっかけを機に 一切合財 恥な
部分も含めて話してしまいました。
DAI
2006/09/13 00:57

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