青森・函館のたび 函館西部地区へ

函館朝市のあとに、函館駅前の電停より函館どっくの方へ市電で移動するのですが、その市電に乗る時に僕の持っているデジカメに、電池切れの警告灯がキラッと光るのに気付きました。 オイオイオイ~! こんな時に限って電池切れなんて。 ホテルの部屋に替え電池を忘れてしまっていたんですよね(汗)

konatuさんに「函館どっく辺りにコンビニあるかな?」と聞いたりして、そんな中で終点よりも一つ手前の電停で降りる方が良いっぽいという事で市電に乗って大町へやって来ました。


大町電停近くの薬局で電池を買って、そして街歩きスタートです!


最初に見えて来たのがこの建物でした。
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函館市臨海研究所です。 大正15年築で元は水上警察として建てられたそうなんです。 実は昨夜もドラマを見ていて、この建物が警察署として登場していたので嬉しかったりします(^^;)



更に港の方へ歩いてみると復元帆船の箱館丸が飾られていました。
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太刀川家住宅です。
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右側の和館部分は明治34年築のもので、左の洋館の方は大正4年築のものだそうです。 和館の方には袖壁があって耐火建築の意味があるそうで、何度も大火を経験している函館らしい建物です。



函館どっく近くでkonatuさんから あれがダイエーですよって教えてもらったので撮影したものです(^^;)  すごく小さくて可愛いダイエー♪
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函館どっく電停までの間に古いレンガ倉庫を見ながら進みました。
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想像していたよりは静かな終点の風景でした。





函館どっくからすぐ近くの漁港へ。
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イカを釣る為に船にはたくさんの電球が吊るされていて、神戸では見る事の出来ない漁船がいました。 こういう所にも地域性を感じます。



そんな漁港沿いの建物の中に変わったバス停表示がありました。
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不定期だというバスの停留所表示が。 ほんとにバスが来るのか分りませんが、興味をそそられました。




このバス停?のすぐ近くには弁天台場の碑や、その台場の石を使って造ったという防波堤が漁港にあったんです。

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弁天台場の石積みを転用したという防波堤がこれです↑






この函館漁港で、やけにうるさくて でっかいカモメが飛んでいるので撮ったのですが
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konatuさんに 何 あれ? と聞くと 即答で「海猫じゃないですかあ」と。 あ~あ~ あれかぁ~  そういや さっきから うるさく ミャ~ミャ~と鳴いているなあって。
飛びながらミャ~ミャ~鳴いているんですよね。 けっこううるさく感じましたし、写真に撮ってみると目付きがするどい。 あまり可愛いとは思いませんでした(^^;)







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漁港を経て、段丘を上がったのか、坂の上の宅地を進むと立派なお寺が見えて来ました。 高龍寺でした。 境界にはレンガ積みのどっしりとした塀が。
明治43年築の防火塀だそうで、山門は明治44年築という立派なものでした。





高龍寺から少し進んだところには
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外人墓地です。 中華義荘や外人墓地、また日本人の墓地もあったかと思います。 寂しい地区だと思いましたが、湾内の広い絶景が広がっていて、神戸の外人墓地とは全く違うし、横浜の外人墓地とも違う函館流の素晴らしい景観が広がっていました。






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外人墓地から、おでかけバスに乗って移動です。 このおでかけバス、函館西部地区の坂をエスカレーターのようにジグザグと登っては下りて、また登っては下りてと、移動しながら上り下りするというおもしろいバスです。  しかも停留所の放送の音声が小学校低学年の子供達が話すもので、かえって聞き取りにくかったりします(^^;)





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おでかけバスを愛宕団地で降りてから旧ロシア領事館に進む間に見た坂道です。 上は常盤坂。 下は姿見坂。 真っ直ぐ港まで伸びる坂道の景観が素敵です。




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そうして旧ロシア領事館を外観だけはありますが見学をしました。




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旧ロシア領事館を見た後に、東の方へ進む際に見た坂がこの弥生坂です。

坂の麓の左手には、最初に見た臨海研究所が見えます(^^)




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これは明治40年築の小林写真館です。 適切に修繕工事がされているようで微笑ましく感じました。 この写真館で使われていた機材は、後に紹介する函館区公会堂に展示されていました。




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函館の関帝廟である中華会館。 明治43年築。




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旧函館市立弥生小学校です。 昭和13年に建てられた学校で、函館は昭和9年に大火に遭っているのですが、その教訓を生かして傾斜地の中で、コの字型のレイアウトで建設されています。 RC造りの校舎の中は、大火の際に避難スペースになるように考えられているそうで、これもまさに函館の持つ歴史のDNAだと思います。

この校舎、僕はまだ未確認ではありますが、訪問の5日後から解体工事が始まったそうです。


僕はこの弥生小学校を見て、思わず「丸ビル」とあだ名を付けてしまいました。 そんな印象を受けたのです。




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この記事へのコメント

konatu
2009年12月09日 18:43
一番上の臨海研究所は近年復元されたものなのです。
見た目にそっくりなのですが、解体前の建物も知っている身としては、色が気になります。
解体前は白かったのです。
一体、いつの塗装を再現したのでしょうね。
http://birds-eye-view.blog.so-net.ne.jp/
2009年12月09日 22:26
konatuさん
あの建物は再建したものだったんですかっ!!!

神戸でも、何軒か、当初のカラーに再現された時に、旧来のものから ガラッと変わる物に変わるケースがあって、少なからず戸惑う事があります。
北野異人館街の風見鶏の館の南西側の萌黄の館は以前は白い異人館でした。 今は名前の通り萌黄色です。 舞子の六角堂(移情閣)も今は以前のカラーとは違います。

この臨海研究所も、初期のカラーを究明して、再現されていると思うのです。

臨海研究所が、函館の街に根付くまでは、ある程度の時間がかかるとは思いますが、必ず 地域に馴染むと思いますよ。

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