1.17 阪神淡路大震災より17年

今日は1月17日。 17年前に神戸や阪神間、明石、淡路島を震度7の激震が襲った日。
今年も健康に1.17の日を迎えることが出来ました。 地震発生当時は18歳で、その後の避難所生活の時に19歳になりました。 小学校の体育館で生活していたという事も自分の中ではすごく遠い時のような気がします。


震災に遭うまでの僕の人生が19年。 その後の経た時間は17年。 もう少しで震災後の時間の方が長くなってしまいます。 これは何とも不思議な気がします。  あの日以来 時間軸を 「震災前」 と 「震災後」 と分けて考えるようになったのですが、震災前の時間の方が長いと思っていたものがもうすぐ拮抗して、そして震災後の時間の方が長くなる。 何とも複雑です。


生まれてこの方神戸でしか暮らした事がないので、この街のことをどこよりも大切に思っているし、震災前の神戸は何だって出来るんだ!というパワーがみなぎっていて好きでした。 震災に遭って神戸の街がむちゃくちゃに潰れてしまってからも、この街と復旧復興をいっしょに歩いて来れた事は幸せに思います。




去年の3月11日 東北で起きた地震とそれによる津波や福島第一原発の事故。 西日本というはるかに離れた所で暮らしているからのんきに居れたんだと思いますが、それでもあの映像を見るのはとても辛く、心平静では居られない心境を味わった年でした。



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今年の1.17は東北の被災地の事を思う機会にもなっていますね。 早朝5時46分のつどいでは仙台の名取市の市長さんも参列されていたし。 1.17希望の灯りを分灯した陸前高田の方も来られていました。
神戸と東北はつながっているんだなと思いました。




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矢田神戸市長の挨拶。  つどいの冒頭 地震の起きた午前5時46分に黙祷をしたあと、しあわせ運べるようにを森さんが独唱。 1番ではふつうに歌われましたが、2番は東北の被災地の事も思い ふるさとバージョンでした。



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1.17はこの日だけがあの時の災厄の日なんじゃなくて、この日から”始まる”災厄の日であり、たくさんの人が苦闘の被災生活を送る事になった最初の日なんだという事を忘れたくはないです。

大火で燃えた街も、全半壊が集中した街も、表面上は復興出来ました。 今 神戸の街を歩いても被災痕を探す方が難しいくらいです(細かく見るといろいろあるんですが)  東北の被災地だって必ず復興出来るんです。 無責任な言い方になってしまうのですが、時間はかかるだろうし、神戸では無かった問題もあるでしょうけど、そんな問題を乗り越えて、必ず復興出来ますよ。


僕も17年前の1月18日 住み慣れた鷹取の街が見渡す限り焼野原になった様子を見たり、その後に三宮の惨状を見た時は神戸の街は終わったな。 元通りになんて出来ないよ。 もうこれでこの街はお終いだ。  って思いましたから。  けど そうにはならなかったし。

東北の事はこれからもずーっとずーっと気にして行きたい。




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この記事へのコメント

2012年02月01日 00:45
お久しぶりです。私の方は最近ブログの更新を滞らせがちなのですが、今年も阪神・淡路大震災については触れずにはおられず、一筆を書きました。
そこでも触れましたが、当時小学生であった私は「震災後」の人生の方が長くなってしまいました。小学生の時の記憶は時と共に曖昧になる等と言われますが、
あの日の、あの光景は一生忘れられないように思われます。
2012年02月06日 18:30
デンキチさん
遅レス すいませんm(_ _)m
過去の出来事の中で、95年の1月17日という日だけは、いつまでも連休明けの火曜日でどんな事が起きてという事を覚え続けているのでしょうね。 他の事だと日にちは覚えていたとしても、曜日やどんな天気だったとかや記憶あ曖昧になって行くのですが、この日だけは違いますね。

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