戦没した船と海員の資料館

8月15日 終戦記念日の日に、海岸通にある「戦没した船と海員の資料館」に行ってきました。 前々から行ってみたかった場所だったのです。

平日しか開館されていませんでしたので、なかなか行く機会がありませんでした。 今回 偶然にも、終戦記念日という事もあり 普段は体験する事が出来ない様子を見る事になりました。


この中の展示に、対馬丸の模型がありました。 白黒の写真は何度も見た事がありましたが、模型を見たのは初めて。  あ~ こういう船だったんやねぇ~ と 納得していました。

対馬丸を知ったのは小学1年生の頃でした。 当時 新聞会館だったと思うのですが、祖母に対馬丸のアニメ映画に連れて行ってもらったんです。 その頃って、日本が戦争をした国なんだ とか、 戦争に負けたんだ とか、 ようは右も左も分かっていなかったと思います。 そんな頃だったのですが、今のこの歳になっても、対馬丸 というのは、はっきりと記憶に焼き付けられる事となりました。

昨日、垂水のまたのさん宅にお邪魔して、とにかく いろんな話をして、また いろんな事を質問したり、いろんな事を教えてもらいました。


戦時中の生活というのが、自分にとってすごく遠過ぎて、理解出来ないんですね。 空襲に怯えなければいけないとか。 疎開しなければいけないとか。 同じクラスに、家が焼かれた仲間がいたり、焼けてない仲間がいたり、教科書もかばんも、家も服も、普通の日常生活が焼けてしまう という事が、どういうことなのか? 凄く遠い世界なんです。

対馬丸のように、夜中に雷撃にあって、自分の乗っている船が爆発しながら沈没していく そんな状態に自分がおかれるというのが、分からない 理解できないんですね。


家が無くなったり、家族が亡くなったり、そういう経験をした人達って、今まで この21世紀まで どんな風に自分の生活を取り戻されたんだろうか。

身近な方たちは、みんな 普通に暮らしているお爺さん、お婆さんばかり。 当時 どんな辛い経験をして、いろんな不条理な事も経験して、 今 昔話を聞かせて頂いているのだろうか。

この大きな時間の距離って、少しずつ縮めていけるのだろうか・・・


8月15日に、戦没した船と海員の資料館で、話を聞かせて頂いた、90歳代のおばあちゃん  亡くなった旦那さんの分まで、幸せに長生きして下さい。 それだけを祈っています。

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この記事へのコメント

tet5
2006年08月17日 12:42
DAIさん、
終戦記念日に貴重な資料館に行ったことは価値がありますね。
翌日には、重鎮、またのさんとの談話、経験していない事を
聞いて想像を深める、過去を思いやるという行為などは、
人間の厚みをさらに増す事だと感じますね。
2006年08月17日 13:08
tet5さん>
全くの偶然だったのですが、15日に行った事は、良かった
と思います。 全くの普通の日に行ったとしたら、ただ普通
に戦没船の写真や説明を見て、ふ~ん へぇ~ という程度
で帰って来たかもしれません。 それで帰って来なかっただ
け、資料館訪問は成功だと思います。
show
2006年08月17日 18:57
DAIさん、こんにちわ、震災の時、私達の、周りでは、この戦争を、力強く生き抜いてきた、おじさん達、おばさん達が、凄い力で私達、若者より、頑張っていましたよ、この力が、震災の復興にどれだけ、力になったか、
この、戦火を、生き抜いた力は、ダテジャないっすね!
2006年08月17日 20:01
showさん>
コメント頂きありがとうございます。

きっとそうだったのでしょうね。 町が大火で燃える時も
そんな経験の一度もなかった戦後世代とは違って、判断の
基準が根本的に違っているケースが多々あったのだろうと
思います。

都市という都市が燃やし尽くされて、家も着るものも無かっ
たような生活から、今のように世界でも指折り豊かな国に
立ち上げたんですから、すごいですよね。
2006年08月18日 23:52
どの記事を読んでいても思うのだけど。
DAIさんて優しいね。

でも、ホントに
戦争で苦しかったり悲しかったりをいっぱい経験したぶん、幸せになってほしいよね。
kamimura
2006年08月19日 01:21
 DAIさん、ご無沙汰です。
 私も勿論、戦争体験など持っていない口です。
 しかし、震災の時、割れたガラスをブーツで踏みしめながら、見知らぬ爺さんと僅かな物資を仕入れたスーパーの開店を待って並んでいる時、上空を自衛隊のヘリコプターが行き過ぎるのを見ながら、「これで弾が飛んでくるのが、戦争なんやな」と思いました。
 途端に、恐ろしくなりました。
 震災+攻撃されるなんて、考えたくない状態です。
 もし、戦争だったら、上空を飛ぶのは救援物資を運ぶ自衛隊のヘリコプターではなく、我々に爆弾やら銃弾を浴びせる恐ろしい凶器であるわけです。
 
 しかし、戦争を体験された方は、そのような日常を送っておられた訳ですよね。
 自分はまだしも、自分の子供たちには、そんな日々を送って欲しくないですね。
2006年08月19日 08:18
梅吉にゃんこさん>
その日は、終戦前日に、旦那さんを亡くされたというお婆さんがいらっしゃいました。 その頃は韓国にお住まいだったそうです。 旦那さんが、九州は門司から釜山行きの日本郵船の船に乗船されて、関門海峡沖合いで機雷に触れて沈没して、旦那さんが亡くなられたと話を聞きました。
不条理な出来事ですよね。 無事帰って来るのが普通なのに、そうはならないですし、せめてご遺体だけでも帰ってきたのでしょうか?・・・ 戦没した船だけでなく、戦場で亡くなった人も、サイパンで亡くなった一般の人も、ちゃんと日本に帰って来れたのだろうか?と。

この資料館を見学して、気が重くなりました。 ボケててもいいから平和の方がいいなぁと思いましたね。
2006年08月19日 08:27
kamimuraさん>
ですね~。 常に”死ぬ”という事を覚悟して暮らすのは嫌ですね。 寝ている間に空襲警報が鳴って、防空壕に逃げ込まないといけないとか。 そんな防空壕に直撃弾があれば、即”死ぬ”という事ですし、本土に居ても、沖縄に居ても、どこに居ても”死ぬ”という事を意識しなければいけない生活というのは、”普通”じゃないですよね。
自分の国が戦争をしている 戦況をホンマかどうか疑う余地もなく、聞かされる。 国が向かう方向に、国民が問答無用で道連れになる。 ”普通”じゃないですね。

今 みたいに好き勝手に、言いたい事が言えて、行きたい所に行って、職業選択の自由があって、 という そういう”普通”な生活をずーっとしたいです。
またの
2006年08月19日 19:24
8月15日は敗戦の日です。決して終戦記念日ではありません。
尤も敗戦に記念日という言い方はなしょうね。一億総懺悔と言われて
いたのに靖国問題などで政争の具にして騒ぎ立てるのはどうかと思い
ます。心ならずも戦火に散った方々の冥福を祈る日だと思うのですが。
2006年08月19日 20:18
またのさん>
そうですね。 その「心ならずも戦火に散った方々の冥福を祈る日」 10年後も、20年後も、そうあらねばならないと思います。 また人間っておんなじ失敗をしてしまいますもんね。
tasho
2006年08月19日 21:53
DAIさん、こんばんわ、淡路(南あわじ市)に、若人の広場という所があり、ここで、戦争中の写真など展示されいて、身近に体験する事が出来たのですが、今は、閉館になってしまいました、とても残念です、私も、小学校の遠足で、見学に行きました、やはりショックが大きく、かなり夢の中まで登場していました、当時はよく、学校で戦争映画を見たり、自由時間、道徳の時間を利用して、戦争や平和、体験談を聴いて、よく話し合ったりしてました、今の子供達は身近に、触れる事が出来ているのでしょうか、やはり、ゆとり教育で、時間がないにでしょうかね、少しでもいいので、話し合ってほしいです、平和ボケした人が集まる国は、いやですから。
2006年08月21日 08:28
tashoさん>
その若人の広場って、たぶん 閉館後ですが、行った事があると思います。 大鳴門橋の少し手前ですよね? 由良の生石公園には明治期なのか?砲台跡がありました。
小中学生くらいの頃は、戦争の悲惨さを伝えるような映画を何度か見たと思います。 今の子供達にとって身近なお爺さん、お婆さんって 徐々に戦後世代になりつつあるでしょうから、段々と伝わりにくくなって来ているかも知れないですね。 完全に入れ替わってしまってからが、試練の時ですよ。 なぜ悪いのか?が分からなくなるかも知れないですから。

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  • ここは酷い海岸線ですね

    Excerpt: 母校によって神戸に なんかJR神戸線が遅れてて快速が土山逝きになってて吹いた とりあえず元町で降りる Weblog: 障害報告@webry racked: 2008-03-19 01:38