石原正さんの絵に見惚れて

僕が通っていた高校は、神戸市須磨区の名谷駅から歩いて5分の所にありました。 今はJR灘駅近くに移転してしまいましたけど。

その学校は、工業高校でした。 僕はその学校のインテリア科卒です。 で、その校内の実習棟の4階だったでしょうか。 作品の物置のように使われている部屋に、大きな神戸の鳥瞰絵図が飾ってあったんです。 インテリア科一クラスの生徒が分割して自分の範囲を仕上げるというのでしょうか。
それを見て「うぉ~!!!」 「すっげぇ~!!!」と当時思いましたね。 当然 先生にも聞きましたよ! あれはなんですか?って。

その時に、内山先生から教えてもらったのだと思います。 その絵図には元になる絵があって、それを拡大して 一人一人の生徒が拡大模写して、一つの大きな神戸の絵図に仕上げたと。

その 元の絵を描いた人が石原正さんという事でした。 もう感動でしたね。  内山先生は、僕に発売されて間のない「鵜の目 俺(タカ)の目」という 石原さんの著書を貸してくれました。 それをむさぼるように読んだ覚えがあります。

内山先生は、石原さんと面識があるという事で、年賀状を頂いた話や、アトリエに行った時に、鳥瞰図の切れっ端が転がっていて 「すごいで~!」って楽しそうに教えてくれました。


それが僕にとっての石原正さんとのスタートでした。 1993年の事です。

94年の春に就職して、梅田の紀伊国屋書店で石原さんの鳥瞰図を発見して 歓喜の中 絵図をどんどんと買って行きました。  著書の「鵜の目 俺(タカ)の目」も買いました。  発売されているブック版の絵図は、一通り購入してしまい それからも 数年ごとに新作が発売されるのが楽しみでした。

そういう中で、上司に教えてもらい 南千里公園に行った時に、石原正さんに会ったり、 むっちゃ 我がままを言って ポートピア博の公式ガイドを売ってもらったり、 三宮で何気なしに訪れた 僕にとっては定番コースの書店で 石原さんのサイン会があって、その時にサインをもらったりしました。


2001年にリストラで失業して、就職活動をしていた僕は、知り合いの人の 後押し的な言葉を貰い おもいきって自分の絵を持って INAXのビルで行われていた展覧会に行ったのです。 知り合いからの後押しの言葉が無ければ、作品を持っては行かなかったでしょう。 そこまで自信がある訳ではなかったですから。

まぁ その時は、ボロボロに返り討ちにあったという感じでしょうか。 それが嬉しいんだから 笑ってしまいますよね。  その時、同じように僕と石原さんの話を聞いていた 豊中の見知らぬおばさんが、加勢してくれましたよ。(笑)

おばさん 「先生! そうやって 線が垂直じゃないとか、いろいろ気になる  そういうのが 見るべきものがあるという証拠じゃないですか?」って。  僕はたじたじというか、苦笑するというか。 ある時は、主演の役もし、ある時は助演の役をしたりと、 3人での討論大会になっていました。(笑)

そのおばさんとは、梅田でお茶をして お互いに良かったね~ って 話をして別れました。


その後、何が嬉しいかって 石原さんからハガキが届いたんです。  ちょっと手伝って欲しい事があるから 連絡を下さい!って。  もう 有頂天になりましたよ。  有頂天だし 嬉しくて泣きそうになるし・・・


緊張の中、アトリエバーズアイを訪れてから 名前を覚えてもらい フルネームで何度か口ずさむように、また 連呼するように。 覚えようとされているのか 呼びやすいからなのか 分かりませんが、昼飯で行った先のお店でも、 馴染みのお店なんでしょうね お店の方に 紹介されるわ。 夜に飲みに行って別れたお店でも 紹介されましたよ。 もう どちらのお店だったのか 覚えていませんが・・・

僕にとっての石原さんの思い出は、そういった感じです。

いい加減な気持ちで、飛び込んでいった僕と、厳しさを教えてくれた石原さん。 いっしょに居た時間は、そんなに長いものではありません。  ですけど、僕の中では”神”のような存在だった人が 目の前にいる  自分の事を短い間だったけど 覚えてくれた  それが嬉しかったし、幸せの一つでした。


どうなんでしょ~  今後 日本には、石原さんが成された 鳥瞰絵図を再興される人は出るのでしょうか・・・  僕にも そのチャンスってあるんだろうか・・・  いや こんな適当な僕が出来るのだろうか と 尻込みしてしまうのですが、 一つだけ言いたいのは、 あの絵を 石原さんの代だけで終わらせたくないんです。

あまりにも寂しすぎるので。。。

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